食べ物が命の源(その7)

食事の力について

給食の内容を変えたら子供の行動が変化した有名な話があります。長野県の中学校の校長先生だった大塚貢先生のお話です。90年代に大塚先生が校長として赴任した中学校では校内暴力や非行が吹き荒れ、生徒たちは学習に対しても無気力でした。大塚先生が子供たちの成長を願い改革をはじめました。その内容は授業改革と給食改革でした。大塚先生は問題行動の多い生徒のかなりの数が、コンビニ弁当やファーストフード、即席めん、菓子類などを常食していることに注目して、1日1食でもバランスのよい食事が必要だと考え、給食を変えようと試みたのです。当時の給食は、米飯は週1回のみで、主食は、揚げパンやソフト麺、ハンバーガー、おかずは肉が大半だったそうです。それを週5日の米飯と、無農薬・低農薬の地元産野菜、産地が明確な国産の肉・魚を用いた和食に切り替えたのです。すると1年でタバコの吸い殻が消え、2年で非行・犯罪が消え、当時50人ほどいた不登校の生徒は2人まで激減したと言います。学力テストでも全国平均より高い成績を上げるようになりました。食事の重要性を伝える大事なエピソードだと思います。給食費は1食あたり250~300円程度です。これを有機野菜に変えると50円ほど高くなります。1食50円で子供たちに良質な食事が提供でき、健全な発育をうながせる可能性があるなら試す価値はあると私は思います。なぜなら人生の土台とも言える年代に食事はとても重要なものと考えるからです。大塚先生も給食改革には大変な苦労があり、保護者や子供たちから「魚は食べたくない」とクレームが来たり、先生方からも反対の声が上がったそうです。先生方も学生時代に揚げパンやソフト麺の給食を食べていたからです。とどめは調理する人から「米を洗って炊くのは手間ががかかる。米粒がこびりついた食器や箸を洗うのも手間がかかる」と嫌がられたそうです。各御家庭でも起きそうな話ですね。本来、日本の食事とは食べる相手の事を思い作るものだと考えるのは私だけでしょうか。学校の給食をつくる人たちが未来の日本を作る子供たちへ元気と健康を届ける大事な存在であってほしいものです。戦後の学校給食の内容はGHQの食料政策の一環(米国の食材を買わせるためのもの)で行われたものです。

米は氣のもと

日本人の心の力の表す字は氣です。現在の気はGHQが戦後改革の一貫で変更したものです。本来の氣は米の字が使われ、末広がりで八方へ力が広がる意味を持ちます。人が大空に手を広げているような字です。それに比べ現在は〆(シメ)です。これだけ見てもなんとなく今の気に違和感を感じるのは私だけでしょうか。戦後、GHQが行ったことは日本の良くするためなどと聞かれることがありますが、その後の現在に至る日本を見る中で疑問を感じずにはいられません。と言うより日本は他国が介入しなくてはいけないくらい悪い国では無かったことは自ら歴史を調べれば明白だと考えます。私はGHQの3S政策(スポーツ、スクリーン、セックス)により、日本人が世間知らず(世界知らず)の人間に作られたような氣がしてなりません。正しき歴史と文化を奪われた国に未来はないと聞いたことがあります。文字は文化を伝書し、その国の民族性を育てるものであり、その国の人々の魂の根源となるものではないでしょうか。日本の歴史、文化を知ることが私たちの生きる氣力を生み出すと思います。戦後の減反政策にしても誰が指示しているか、現在、食糧難が来ると言われている中でなぜ継続されているのか、日本人の力の源の米を奪おうとしているのではないか、歴史を知ることが日本の魂を蘇らせ、明日の日本の扉を開くと思います。

次回、食育とはなにか。

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