食育とはなにか(その8)

食事が人の心を育む

「食育とはなにか」その反対に位置するものが超加工食品だと私は感じます。超加工食品とは簡単、便利な食品であり、「食事とは簡単なもの」だと思ってしまう。また「思わされている」のかしれません。ちまたの食品コマーシャルではあちらこちらと「簡単、便利」と聞かれます。しかし超加工食品のどのように作られ中身がなんであるか、ほとんどの人は知りませんし、氣にもしません。現在の日本のコマーシャルは「詐欺宣伝をしているのでは」と疑いたくなります。確かに現代の忙しい社会人にとっては、本来の調理方法は時間がかかり、ハードルが高いものだと思います。しかし、自分たちが食べている物の中身を知る必要性と権利はあると思います。また普通の調理をしたとしても、1時間かけて作った料理でもだいたい10分程度で食べてしまします。実はこの非効率性が「食育」です。超加工食品の調理に慣れるとその手間と非効率性は誰もが面倒だとしか思わないでしょう。特に子供たちは本来の食事を知らず、そのありがたみを感じることなく育ってしまいます。また食べたい時に食べたいものが簡単に手に入ったら、そこに感謝の気持ちが生まれるはずはありません。現代の「なにもかもがお金で解決できる」と思ってしまう、または思わせる、この心理背景の裏にある事を理解するのは大切なことではないでしょうか。「食」とは本来、ほかの命をいただくという行為です。「いただきます」という言葉は、「植物や動物の命をいただきます」という意味です。食べもののありがたみがわからない子どもは、命のありがたみもわかりません。添加物の毒性もさることながら、このありがたみがわからない事の毒性は日本人にとって大きな害に感じられます。まずは料理をつくる過程を「見せる」ことが大切です。親が時間をかけて調理をする姿を見せる事が作ってくれた人への感謝(ありがたみ)の氣持ちが芽生えたり、食に対する感謝(いただきます)が生まれたりすると思います。調理が苦手な方はごはんと具を多めに入れた味噌汁だけの家庭料理でも良いと思います。また、時間が合えば子どもと一緒に調理をしてみることなどもお勧めします。子どもなかには嫌がる子もいると思いますが、もし簡単な調理でも子どもが覚える事ができたら一生使える技術になるかもしれません。子どもは一生を通して色々な記憶と共に生涯を歩むと思います。親との色々な思い出を思い出してながら生きていく。現代の日本では加工食品から完全に離れて生活するのは困難な状態ですが、食品の現状を理解し、知識と時間の可能な範囲で対応していく事は大切なことだと思います。親が日頃から添加物に注意し、色とりどりのより、中身に良いものを選び我が家の食卓を護る姿は子どもたちの食育の大切な芽になると思います。私は食育とは「人を人として育てていく学びのひとつ」と考えます。大変だと思いますが手作りの食生活を続けていると子供たちに良い変化が現れはじめます。時間はかかると思いますがスナック菓子やジュースの量が減ってきたり、お菓子を食事と考えている子どもに本来の食事とお菓子の区別が生まれたりします。調理とは、本来の食事とは、人間の魂を育てる大切なものだと思います。日本人の魂を育てるための食文化は取り戻し、大人も子ども健全な思考が働くための食事をしたいものです。 

もしかしたら私たち日本人の価値観である「働く美徳」を利用され、超加工食品を食べさせるためにわざと忙しく働かせ、調理をさせないのかもしれません。また私たち日本人に「人としての日本文化」を奪うため忙しく働かせいるのではないでしょうか。私の妄想です。

次回、安全な食品を選べなくなる未来。

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